私は1984年から1987年までの4年間をヤマハレーシングチームの契約ライダーとしてレースに参戦させていただきました。
その間、市販ロードレーサーTZ250の開発に関わらせていただいたり、ファクトリーマシンYZR250にも乗せていただきました。
契約ライダーになる前の1981年から「プレイメイトレーシングチーム」でお世話になってTZ125を走らせていましたから、ヤマハライダーとしてのキャリアは7年間ということになります。この7年間でレースで戦うこと、バイクセッティングを学ばせていただきましたが、それに増して人間として成長させていただいたことが一番大きかったと感じています。
今回集まったのは37名。エンジニア、メカニック、ライダーが昔話に花を咲かせました。本当にあ世話になった方ばかり。このような集まりになると58歳の私も当たり前に「パシリ」です。一番の若手はなんと現ヤマハレーシングチーム監督の吉川和多留さんですから(笑)。