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2015 FIM Moto GP MOTUL日本グランプリ もてぎに行ってきました。 3

うれしい再会の続きです。

 

ランディ・マモラさん。

ホンダ、ヤマハ、スズキ、カジバの4メーカーのワークスマシンを走らせた唯一の元グランプリライダーです。

1984年から1987年までシーズンオフのケニー・ロバーツさんのランチでのトレーニングや、ヤマハテストコースでのテストなどでご一緒させてもらいました。ワールドグランプリのGP500で優勝するほどのトップレーサーなのに私たち日本人の若手ライダーに偉そうぶるどころかいつも冗談を言ったり、茶目っ気たっぷりで楽しませてくれました。娘の通訳で当時の話をしたらよく覚えていてくれてうれしかったです。

約30年前の出来事。新幹線での移動中に車内アナウンスで「まもなく~」と流れたときに「マモラくーん」に聞こえて「えっ、えっ?」のランディのリアクション。これ事実です。笑。

現在は2シーター・DUCATIのライダーやテレビ解説でMotoGPを盛り上げるパフォーマンスをしています。

フレディ・スペンサーさん。

言わずと知れた1983年ワールドグランプリGP500クラスチャンピオン。1985年には同じくGP500、GP250クラスのダブルチャンピオンを獲得しています。

体調を整えることができず、ワールドグランプリのシートを失いアメリカAMAスーパーバイクでRC30を走らせていたフレディに私が声を掛け、一緒に1992年の鈴鹿8耐を戦いました。ワールドチャンピオンのフレディ・スペンサーを走らせ、予選3位、決勝4位という成績を残すことができ、レーシングチーム時代のスクーデリアオクムラが一番輝いた瞬間でした。

フレディはこのレースでのパフォーマンスが認められ、NSR500でのテストするチャンスを得て、翌年はヤマハモーターフランスからワールドグランプリに復帰することができたのです。

そこでは良い結果を残すことはできませんでしたが、グランプリに復帰するきっかけになれたことを本当にうれしく思いました。

私もフレディもこの鈴鹿8耐でチャンスをつかんでジャンプアップしようと、お互いが本気になって戦ったことをフレディ自身も大切な思い出として意識していてくれていました。

RC213V-Sでデモランを披露するフレディ。
事前練習なしでしかもウエット路面。 そんなこと関係なくケニーさんといいペースで走らせてました。

ケニー・ロバーツさん。

亡くなった元ヤマハロードレーシングチームの前川監督が1984年からケニー・ロバーツさんのおうちでのダートバイクのトレーニングを受けるチャンスを作って下さいました。

私のような国内ライダーにも世界の一流のセンス、トレーニングを受けさせてやろうと、前川さんがいろいろ調整して実現して下さいました。今でも心深く感謝しています。

私は1984年、1985年のシーズンオフに、今で言う「ケニー道場」に参加させてもらいました。人生初のアメリカ、それもあのケニー・ロバーツさんが付っきりで指導して下さるのですから、毎日が本当に楽しくて仕方ありませんでした。

ヤマハチームの日本人ライダー全員と、ケニーさん、マモラさん、ケニージュニア、ジョン・コシンスキーらと朝から晩までホンダXR100でダートトラックのトレーニングです。ケニーさんはGP500マシンで起きることを、滑りやすいダートコースであれば、XR100を使って安全に再現できると教えてくれました。リヤを意図的に滑らせていれば、フロントが切れ込むことはない。フロントが切れ込んだらライダーはコントロールできないけど、リが滑るのは自分でコントロールすればいい。現在のMotoGPにも通じるセオリーですね。

本当に素晴らしい経験をさせていただいて、現在の仕事にも大きく影響しています。

こんなメジャーな人たちが、私の顔を見てすぐに「おお~っ!」って笑顔で迎えてくれるってほんとにうれしいです。

インターカラーのYZF-R1。かっこよかった!

ケニーさんの奥さま。トモコ・ロバーツさん。とてもかわいらしい素敵な奥さまです。

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